「人不可貌相」
人は見かけによらぬもの。
この諺の元になった話が「史記」仲尼弟子列伝にあります。
澹臺滅明。字は子羽という人が孔子様の弟子になりたいとやってきました。顔を見ると愚鈍で身なりもきちんとしていない。孔子様はこいつはだめだと思われたのですが、その後、子羽は予想に反して立派な人物になります。
そこで、孔子様は「私は見た目で人を判断し、子羽を見誤ってしまった」と言われたというような内容の話です。
この澹臺滅明という人。「論語」にも登場します。
子游が武城の宰となった。先生が「良い部下は得られたのか」と尋ねた。
「澹臺滅明というものがおります。公正な人物で、道を行くにも近道や抜け道をせず、公用でなければ決して私の部屋には来ません」
論語から、澹臺滅明は孔子様の弟子ではなく、最初、子游の部下であったことがわかります。そして、とても公正な人物だと子游は語っています。
このことから、推測するに史記の中の孔子様が単なる見た目で子羽を判断し、見誤ったという下りは、司馬遷の作り話ではないかと私は考えています。
「史記」仲尼弟子列伝に孔子様と澹臺滅明の年の差は39歳あったと記述されています。
孔子様の弟子になりたいと澹臺滅明が仮に15歳でやってきたとしても
15歳で弟子というのも考えにくいですね。20歳として孔子様59歳です。
「五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。」
そのような方が何故人を単に外見だけで判断し、見誤ることがありましょうか。
人を外見で判断してはいけないということを司馬遷は強調したかった為に孔子様の名を使ったのでしょう。確かに、人を顔の美醜や服装や持ち物等の単なる外見だけで判断しては大きく見誤ることになります。
そうならない為には。
「子曰く、其の以(な)す所を視、其の由(よ)る所を觀、其の安んずる所を察せば、人焉(いずくん)ぞ廋(かく)さんや、人焉(いずくん)ぞ廋(かく)さんや」
孔子様のこの言葉につきますね。
この世の吉凶成敗禍福寿夭富貧は簡単にわかるけれど、その人の本質を見抜くのは、おいそれとはいきませんね。