昨日は、気ままに12キロ歩きました。
前はよく方位実験だなんだといって、20キロくらい歩いたこともありましたが、久々です。この距離を歩いたのは。さすがに疲れました。
歩いているときは、街の風水を見たり、占術の事を考えたりしたりしていました。暇ですからね。(笑)
行った先でたまたま入った書店で、最近探してしても見つからなかった「易経」「老子」「論語」が売っていて思わず買ってしまいました。
やはり、本は見てから買うのが一番いいですね。
「易経」は中文含めて数多く持っていますが、一番のお気に入りは、小さくてしかもハードカバーの中文の「易経」です。いつもバッグの中に入れて持ち歩いています。もう一冊欲しいところですが
残念ながら、絶版です。
「老子」「論語」も数種類の本を持っていますが、いくつあってもいいですね。
さて、老子様と孔子様と言えば、このような話が「礼記」にあります。
孔子曰「昔者吾従老耼助葬於巷党、及堩、日有食之、老耼曰「丘!止柩、就道右、止哭以聞変。既明反而後行」曰「礼也」反葬而丘問之曰「夫柩 不可以反者也、日有食之、不知其已之遅数、則豈如行哉?」老耼曰「諸侯朝天子、見日而行、逮日而舍奠。大夫使、見日而行、逮日而舍。夫柩不早出、不暮宿。見星而行者、唯罪人與奔父母之喪者乎!日有食之、安知其不見星也?且君子行礼、不以人之親痁患」吾聞諸老耼云。
地理風水は確かに占術としての部分もありますが、根底には、聖人方が示された「道」が流れています。
ここでは「礼」が示されています。
大変優れた人物は、どこの国にもいるでしょうが、日本ほど「礼」「義」を重んじる民族は世界に存在しないでしょう。
ただ、今後もそういい切れるか自信はありませんが。
少なくとも、現段階においては、先人の余徳によってそれが守られていると感じます。
「礼」の道は地理風水に繋がるのです。
そう老子様がおっしゃっておられるのです。とすれば、我々日本人こそ、地理風水を真に解する素養を持った民族であるということだろうと私は勝手に解釈しています。(笑)
天に礼し、自然に礼し、祖先に礼し、父母に礼し、祖師方に礼し、老師に礼し、先輩に礼する。
そうありたいと思います。時々脱線することがあっても本質はそこから外れないように。