先日、整理をしていたら、「二宅実験」という風水の本を昔夢中で読んでいた時の物が出てきて、懐かしく思ったので当時を思い出しながら書いてみます。

 

著者は尤惜陰さんと弟子の栄柏雲さんです。

尤惜陰さんの「宅運新案」第一集第二集に続く形での本ですから、「宅運新案」第三集とも言えます。

内容は玄空飛星での実践鑑定記録です。いわゆる、沈氏玄空による鑑定記録です。

 

 一番最初に登場するのが「無錫洛社下塘賈巻賈錦栄宅」です。

二運 壬山丙向の家。

二宅2

結婚して十年余りになる賈さんには、女の子が四人いるが未だに男の子が生まれない。そこで上元光緒二十七年 辛丑年十月に風水鑑定をしたと。

若夫婦の寝室では男の子は生まれにくいので、老夫婦の寝室と暫くの間交換する。そして、甲と乙の入り口をしばらく鍵をかけて閉じておきなさいと。そうしたら、壬寅年の正月に子供が出来て、十月に子供が生まれたと。だいたいこんな感じのものです。

 二宅1__

註にはこうあります。

「新房門路在巽方。排着向星七。七為金。旺於下元初運。失運即凶。且洩向首二黒旺気。所謂生出者此也。故男難丁招。老房門路在坤方佈着向星九。雖為死気然尤為火。與向首二黒旺土相生、所謂生入者此也。再加前進鎖閉甲乙門。独開丙門。吸引坤気直入老房。故添丁可必」と。

 

??? 実際、何故男の子は生まれたのだろう?

辛丑年の紫白星は?十月は? 壬寅年は?正月は?十月は?

ベッドの位置は?丙門を閉じた?玄空水法は?

若夫婦の寝室は失運で凶?何故女の子が四人も生まれた?

当時の医療技術は?今はいつ?今後は、どうすべきか?等いろいろな側面から考えました。

 

因みに、この鑑定は尤惜陰さん28歳の時のものであり、談養吾さんはこの時10歳。沈竹礽さん52歳で、まだ、存命の時です。この五年後に亡くなられます。三運に入ってすぐのことです。

今は離れてしまいましたが「宅運新案」「二宅実験」でいろいろと勉強させて頂きました。懐かしい話です。