プロレスラー。彼らを追い続けてどれくらいの歳月が流れただろう。そう、彼是40年近くになる。
力道山は知らない。ジャイアント馬場、アントニオ猪木からだ。
毎週日曜日は馬場の全日本プロレス。月曜日は猪木の新日本プロレスがあった。爺さんと良くいっしょに見ていた。但し、月曜日は水戸黄門の放送と重なるため、当初は猪木の試合はほとんど見なかった。
馬場が74年ジャックブリスコを破ってNWAの世界王座になった時、歓喜したことを今でも覚えている。
78年猪木対アリの試合は生中継で15ラウンド全部見た。アリの苦痛に満ちた顔が忘れられない。
ある時、小さな田舎町に全日本プロレスがやってきた。残念ながら、私は見にいけなかったが、見にいった友人はジャンボ鶴田のでかさとブッチャーの凶暴さに興奮していた。
金曜の夜に猪木の放送が移ってからは、毎週欠かさずテレビを見た。初代タイガーマスク、長州力等草々たるメンバーが熱い戦いを繰り広げた。
友人と夏休みを利用して、「長州対藤波」の名勝負数え唄を見ようと上京して、蔵前に向かった。しかし、試合は終わった直後であった。
私が尊敬するスイマー・鈴木大地選手がソウルオリンピックで金メダルを取った夏。長州はついに背後から首へのラリアットで猪木から人生初めてのフォール勝ちを収めた。
異種格闘技戦で猪木が初めて敗北した日。東京ドームで「猪木〜」といつまでも叫び続けた。
98年、猪木が引退する日。やはり、私はドームにいた。「猪木〜」
99年、ジャイアント馬場さんが亡くなる。
その直後くらいであったと思う。ジャンボ鶴田を電車の中で見かけた。
00年そのジャンボ鶴田さんが亡くなる。
05年橋本真也さんが亡くなる。
そして、先週、二代目タイガーマスク・三沢光晴さんが亡くなった。
彼が亡くなったことを知った時、涙が止まらなかった。
彼らは命をかけてリングに上がっている。彼らはヒーローであった。
ありがとう。三沢光晴。安らかに永眠あれ。