日本には、言霊という言葉がありますが、それと同じ様に、中国古代に形成された漢字には、特別な意味があると老師から教わりました。私の姓名判断は、それを元に行なうのですが。その為、漢和辞典は必須です。
ただ、漢和辞典が全てではありません。
脈々と伝わる特殊な見方が存在します。
昨日もいい漢和辞典がないか、書店であれやこれやと2時間ほどみていたのですが、中々納得するものがなく買わずじまいでした。
そうやって漢和辞典を眺めているとふと気になることがあります。それは、漢字の音読みについてです。
大きくは漢音と呉音に分かれます。
辞書によれば、漢音は遣隋使や遣唐使によってもたらされた長安の都の音。呉音は、それ以前に日本に入ってきていたものということです。
呉音については、詳しくはわからないようです。
そんな事を考えていましたら、河洛語という言葉を見つけました。河洛語とは黄河と洛水の間の流域に居住していた河洛人が使用していた言葉のようです。中国上古の時代の言葉ということです。
また、この河洛語は、現在の台湾語と大部分が一緒との事。
(因みに今の中国大陸の人が話す言葉は北京語で台湾語とは大きく異なります。つまり、民族が違うということです)
更に、日本の音読みの呉音が、なんと、この河洛音にあたるというのです。
びっくりですね。上古の中国人の言葉が日本に残っているなんて。
台湾人(内省人)が中国大陸の人に対抗して作った話だという人もいるようです。
しかし、台湾人が言うように、呉音は上古の時代の中国の言葉ではないかと私は思います。
因みに河洛語は八声十五音四十五韻だそうです。
面白いですね。
そういえば、もう一つ呉を使う言葉が日本にありましたね。
和服を表す言葉の「呉服」です。
通説では三国志に出てくる呉の国より、着物が伝わったとあるようですが、私は更に前の中国の古代、春秋時代の呉の国の服なのではないかと。
当時の人々が着ていた服はどうだったのでしょう?
馬王堆漢墓の木偶人形が着ている服は素人目には和服と同じ様に見えたりしますが…。
春秋時代はまさに老子様や孔子様の時代です。
そう考えるとワクワクしてきます。
日本に残っている呉音。それこそ、私達日本人に残された中国上古の河洛人からの宝物かもしれません。