August 2010

日本人相の本

 お知らせです。

 

二年ぶりに、親しくさせて頂いている、沖縄の城本芳弘先生とお会いし、日本人相等色々と面白い話をさせて頂きました。

 

城本先生は、二代目玄竜子先生、八木喜三郎先生直系の弟子にあたる方で、このたび「ツキを呼ぶ顔 逃がす顔」という本を出版されました。

 

 この本は、その辺りの技術の公開、更には先生の今までの研究の中から発見したものも公開されています。

 

第四章「お顔で解決 Q&A」では、実際にこういう質問にどこを見て判断すればいいのか?

先生の実際の鑑定例を下に解説されています。日本人相を勉強されている方にとっては、とても勉強になるところでしょう。

 

 平易な文章で書かれているので、どなたでも読むことが出来ます。

 一般の人にとっては、自分の日常に役に立ちますし、日本人相を勉強している人にとっては、日本人相の極意が色々とちりばめられていますので、この本を丁寧に読めば、日本人相の鑑定が出来るようにもなります。

 

日本人相の古書で何万円〜何十万する本、数冊分の肝がこの本に書かれています。高い本を買う必要はないですね。

 

更にもう一人、日本人相を継ぐ者として、幻竜子・小関聰太郎先生が今、手相の原稿を書いています。見せてもらったのですが、今までにない画期的な内容です。楽しみに待っていましょう。

 

 私の周りの先生方、頑張っていらっしゃいますね。

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 男は「これから、釣りに行ってくる」と家族に言い残し、釣竿を一本だけをもって出ていきました。昭和24年のことです。

 

 男の名前は、根本博。元陸軍中将。

 

 遡ること4年前。昭和20年8月15日。日本は戦争に負け、無条件降伏を受け入れます。

 

しかし、内モンゴルにいた根本陸軍中将は、このまま武装解除をすると間近にせまるソ連が日本人に何をするかわからないと思い、本国からの武装解除命令に従わず、ソ連と戦う道を選択します。在留邦人4万、配下の軍人35万を従えて。

全ては、ただ一つ。日本人の命を守る為に。

 

その時、根本中将を助けたのが、国民党率いる蒋介石総統でした。そのおかげで無事日本人が帰国することが出来たのです。

 

一方、武装解除命令に従った満州では、多くの日本人がソ連の捕虜となり、シベリアに抑留されて、亡くなるという痛ましいことが起きました。

 

根本中将は、この時の蒋介石総統への恩義を決して忘れることはなかったのです。

 

その後、共産党軍に追われ台湾に渡った蒋介石総統率いる国民党は、昭和24年10月金門島で最後の戦いを行ないます。金門島の戦いに敗れれば、共産党は台湾本土に攻め込み、国民党は追い詰められる事態になるという時でした。金門島は最後の砦です。

 

根本中将は、恩ある人の危機に際して、恩義に報いる為、通訳の吉村是二さんを引き連れ、台湾へ渡ったのです。58歳の時です。

占領下にある日本で海外へ密航するのです。家族等に迷惑がかからぬよう何も言わず、ただ、釣り竿1本もって出かけていったのです。

 

その時、台湾へ渡る援助をしてくれたのが明石元長さん。

GHQに見つからずに密航することは、相当困難だったようで、明石さんは根本中将と吉村さんの二人を送り出した4日後に過労で亡くなったそうです。

 

台湾に渡った根本元陸軍中将は、金門島の戦いに軍事顧問として参加し彼の作戦により、見事上陸してきた1万の共産党軍を打ち破ったのです。

 

しかし、その功績は政治的な理由から公にされずに秘密にされていました。

 

昨年の「古寧頭戦役六十周年記念式典」でようやく公式に金門島の戦いで根本中将が参加していたこと、戦いに大きな功績を残したことを台湾政府が正式に認めたそうです。

 

式典で台湾の馬英九総統が自ら歩み寄り、明石元長さん、吉村是二さんの子孫の方に「台湾へようこそ」と日本語で話しかけられている様子がテレビに映し出されていました。異例中の異例です。

 

「義」を最後まで貫いた根本博陸軍中将。

今の日本人が失ったもの、そして求めなければならぬものを語りかけているようです。

 

素晴らしい先人がいたことに感謝致します。

 

フジテレビ「父は何故海を渡ったのか」いい番組でした。

「この命 義に捧ぐ」(集英社)と題する根本中将の事を書いた本もあるようです。


金門島の戦いから三年後の昭和27年。根本中将は何事もなかったように釣り竿を1本もって日本に帰ってきたそうです。


ヒエ取り

 ここしばらく山に行っていました。山はいいですね。

 

 今回は、山を見るだけでなく、ちょっと今までにしたことがない体験をしてきました。

 

 田んぼのヒエ取りです。

 

 ヒエはイネ科の穀物で、素人にはそれが稲なのかヒエなのか、全く区別がつかないほどよく似ています。

 

 朝、六時過ぎに裸足で田んぼに入ります。水の冷たさがとても気持ちいいです。

 

穂を出しているヒエを根から取っていきます。中々、根が深いです。

 

このヒエ、とても面白く田んぼに植えたわけでもないのに、どこからともなくやってきて、稲が植えてあるところに一緒に生えるのです。

 

小さいうちは、先ほど話しましたように素人には区別が全くつきません。大きくなり最後に穂をつけた段階で稲と区別がつくのです。

 

稲に混じって生えているヒエの穂を目印に取っていきます。

 

この地道な作業が大変なんです。無農薬で稲を育てることがいかに大変かが、よくわかります。農家の皆さん、ありがとうございます。

 

ヒエ取りが大変なら、ほうっておけばいいと思いますが、そうもいきません。ほうっておくと、ヒエが周りの田んぼにとびひしてしまうのです。

 

ですから、ヒエはこまめに取らないといけません。取っても取っても次から次へと出てきます。

 

しかし、不思議なのは、ヒエは稲を植えてある場所に生えてくるのです。共存しているように。これには、何か意味があるのではないかと私は思ってしまうのですが。稲を守ってくれているとか。

 

実のところはよくわからないようです。

 

だいたい1万年前くらいでしょうか?稲とヒエの栽培が始まって。

ヒエは1万年もの間そうやって生えてきたんですよね。おそらく。

やはり、何か意味があるとしか思えませんね。

 

広大な土地を使って、周りの人に迷惑がかからないようなところで、ヒエを取らずに稲を栽培したらどうなるのか?

知りたいですね。

 

力強い朝日、空気の澄んだ中にくっきりと浮かぶ山々に囲まれながらの農作業はとても有意義なものでした。易の理についての研究が進みました。実学です。

 

易理が大自然そのものである証拠ですね。

 

次は、秋。稲刈りをしにいかないと。

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