June 2007

平安京

 最近、「蘇る平安京」というNHKスペシャルの番組をみた。この番組は94年に放映されたものだ。だから、今から13年も前のものだ。

 当時は、その番組を見ることができずに、いずれみてみたいものだとNHKに問い合わせてみても、DVDになることはなく、また視聴も出来ない状態であった。放送後、何か苦情の電話等が入ったのだろうか?何かそんな考えさえも想起させる。

 ところが、13年たった最近になって、ある人からたまたま、DVDを譲り受け、番組を見ることが出来た。その人には感謝以外ない。それで感じたことは思いというのは実におもしろいということだ。時間こそかかりはすれ、思いは実現する。

 イエス様が言われた「求めよ、さらば与えられん」である。

 番組自体は、風水を扱ったこの手の番組では、よく出来ていたと思う。

 前回、銅函経についてふれたのは実は、この番組をみたからなのだ。いまさら平安京を取り上げてもという人がいるかもしれないがしばし、時間を。

 日本の書物には、藤原定恵が風水の真伝を持ち帰ったようにいわれている。果たしてそうだろうか?定恵が遣唐使として唐に渡っていたのが、653年から665年のわずか12年である。地理風水にはこういう言葉がある。「尋龍3年点穴10年」である。定恵は初めから地理風水を学ぼうとして唐に渡ったわけではないだろう。地理風水を学ぶとしても唐に渡ってから、老師を探さなければいけない。それからして、定恵が地理風水を真に得ることは難しかったであろうことがわかる。まして、前回、話したように、地理風水とは国家機密であり、それを敵国の留学生に教えることなど当時はありえない話である。それが、もし、もれ伝わるようになったとしても黄巣の乱以降の事であり、まだ、200程先の話である。

 近年においてでさえ、まだまだその傾向はあった。前にも話した金丹派の老師は蒋介石と共に台湾に渡ってきた人であるが、弟子にはいわゆるもともと台湾にいた今でいう内省人は断り、一緒に台湾に渡ってきた外省人のみを弟子としていたという話がある。後年それはくずれるのだが。

 つまり、藤原定恵は真の地理風水を学んで帰きたというように結論うることは極めて難しいといえるだろう。

 話を平安京に戻すと、番組では香港の風水師・劉啓治が出てきて、京都の龍穴を探すのだ。羅盤を出して、龍脈と龍穴の位置を探っていく。実にこれは本当は違う。龍穴を探すのに何故羅盤が必要か?まして、尋龍尺など尋龍点穴において必要なわけがない。この点は多くの風水師が勘違いをしている。

 劉啓治はもともと三合の出で、その後64卦に弟子入りするも、2年足らずでやめ、一派を創始した。何度かやり取りをしたことがあるが、感じはいいおじさんであった。風水天地の顧問であり、弟子に羅量等がいる。

 龍穴は別にして、番組で京都の町をみていると、地理風水の原理によって、この地を選び、都が定められたのがよくわかる。三方を山で囲まれ、水があり(ここはポイント)、前方が開けている。東寺と西寺にしてもおもしろい。

 しかし、それは銅函経によって影響を受けたものであり、後に薬子の変等にそれが影響を与えていくことになる。つまり、地理風水の一部が伝わったと考えるのが妥当であろうと。それは、前文に述べた地理風水の看方が入っている点。それと、もしこの地が台湾、香港の風水師が言うように銅函経だけにまみれた土地であるならば、何故、ノーベル賞を受賞するような化学者を何人か輩出することが出来たであろうか?それはありえないだろう。

 一点、この時代の重要なことを忘れていました。平安京遷都10年後、日本史上最大の天才弘法大師空海が求唐します。そして、2年後(確か?)千人以上の弟子の中から、ただ一人恵果阿娑利に密教の法(ダルマ)を授けられるのです。弘法大師は地理風水など学ぶ時間はなかったでしょう。しかし、それ以上の価値のある、法(ダルマ)を持ち帰ったのです。天才・弘法大師の目には平安京はどう映ったのでしょう?

 皆さんも一度、「蘇る平安京」を見る機会があったらみてください。初心者には特におもしろいと思います。

 元運の妙ここにありでしょうか?

 

 

 

 

銅函経

 「銅函経」この名を知っている人は数少ないかもしれない。

 これは、唐の玄宗皇帝が一行禅師につくらさせた風水の偽書と呼ばれるものである。 当時、地理風水は国家機密であり、これが外国にもれれば、自国の運もあぶないと玄宗皇帝は考え、偽書をわざと外国に流す作戦に出たとされている。そこで白羽の矢が立ったのが一行禅師だ。天文歴算に通じ、また地理の道にも通じていた人である。もともとは真言密教のお坊さんで真言密教伝持八祖の中の一人にあげられるほどの高名な人なのである。

 日本の時代的に言えば、平安京が出来る70〜80年くらい?前のことだろうか?であるから、平安京がもし、長安の都にならい風水によって遷都されたならば、この「銅函経」の影響を強くうけたということになるだろう。それは日本だけでなく韓国もまた同じことだろう。

 「銅函経」のまたの名を「滅蛮経」という。「蛮夷を滅する」という意味からきている。それゆえ、台湾や香港では偽書として一般的に言われている。 

 今日世間一般にいう八宅がこれにあたると台湾・香港では言われている。

 真言密教伝持八祖に数えられる一行禅師が本当にそんなことをやったのだろうか?いずれ真假の区別がつかなくなり、自国が滅びてしまうことくらいわかりそうな気がしてならない。作者はもしかしたら違うのではと疑ってしまう。

 内容は世間が言うように単なる偽書ではなかったはずである。そんなことをすればすぐに才気煥発な留学生たちに見抜かれてしまう。

 真相は小事には真。大事には假という形でつくられていたのであろう。そしてその影響を日本と韓国はうけ、都市国家を造っていったということになる。

 しかし、その玄宗皇帝の目論見ももろくもくずれ、百数十年後、黄巣の乱により、唐は事実上滅亡する。それに乗じて、宮廷内部から地理風水の秘伝書がある男によって持ち出され、男は崑崙山を目指して逃れて行ったという。この男の名は楊筠松。私の地理風水の祖師爺にあたる人です。

 なぜ、今回「銅函経」に触れたかは次回、お話をしたいと思います。

  

  

 

 

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五上竜尋
風水、断易、八字、紫微等を修める。風水は本場香港、台湾で学ぶ。そこで風水が日常にとけ込み生活に活用されている姿を目にする。また日本では、占術に対する誤解がまだ多いとも痛感。真の占術を浸透させる一助を担えればと考えている。
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